ブッダ物語28 戒、ヤサの出家、僧団の拡大
五人の苦行者がブッダに帰依した後、僧団は急速に拡大した。
以前ブッダと共に修行した彼らが僧団生活に入ることに不思議はないが、その後は、そのような経験がない者達が、僧団に入ったことは注目される。
僧団では共通したルール(戒)が定められていた。
それは、具足戒(ぐそくかい)と言われ、男性修行者(比丘・びく)は二百五十戒、女性修行者(比丘尼・びくに)は、三百四十八戒が科せられた。
ちなみに、僧団に加わったばかりの見習い僧(沙弥・しゃみ)は、在家仏教徒が守るべき五戒に加えて、(1)装飾品や香で身を飾らないこと、(2)歌や舞踊を楽しまないこと、(3)広くて高い寝台で休まないこと、(4)正午以後に食事をとらないこと、(5)金銀財宝を蓄えないことの十戒(十善戒とも言う)を守らなければならなかった。
ある朝ブッダは、ベナレスの鹿園で座っていた。
すると、ヤサという若者が通りかかった。ヤサは裕福な家庭の者であった。しかし、ブッダの説法を聞くや否や、これまでの生涯に無益さを悟り、即座に仏教徒になることを願い出た。
ヤサの両親は息子の失踪に驚き、父親が捜しに出かけることになる。夕方近くになって、父親はブッダに出会った。
ブッダはヤサが僧になったことを告げ、父親にも説法を始めた。
その結果、父親は在家の仏教徒になることを決心する。
そして、ブッダを含め6人を食事に招待した。後々、信徒に歓待されたお礼として説法をするのが仏教僧の慣例となるが、おそらく、ヤサの父親の招待がこの習慣の始まりであろう。
食後、ブッダは居合わせた人々に説法した。
そこには、ヤサの母親と前妻もおり、54人のヤサの友人も居合わせた。
そして、かれらはすべて僧になりたいと申し出た。
ここで僧団は一挙に60人に膨れ上がるのである。
ブッダの45年間の布教活動は、雨季を除いて、北インドや東インドをくまなく旅したのである。