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日本書紀の謎を解く2

一番、大事なことを書くのを忘れていました。

この本は、『日本書紀』の内容を三つに分類出来ることが書かれています。

つまり、別々の作者がいて、一人で書かれたものではないということを書いています。

著者は、『日本書紀』全三十巻を、β郡、α郡、巻三十の三つに分けています。

なんで、こんなややこしい表記の仕方をするのかは分かりません。A、Bでええやん。

で、β郡は、 和化漢文といって、日本人が書いた漢文で書かれています。

α郡は、中国原音で書かれています。つまり、中国人が書いたものです。

それで、巻三十はどちらか区別できないとのことです。

これを論証するのに、文法とか、語順とか、アクセントとか、いろいろな面から分析して解き明かしていきます。

まあ、細かくて、すごいな〜って感じです。参考文献もめっちゃ出てきます。

まず、α郡は、661年に日本に来た続守言(しょくゆげん)と、薩弘恪(さつこうかく)という中国人が分担して書いたそうです。

β郡は、α郡の作者である二人が亡くなった後、当時の文章博士である山田史御方(やまだの・ふひとみかた)という人物が担当したそうです。この方は、もともと、学問僧として、新羅に留学したこともあるそうです。お坊さんの名前ではないのは、そのあと還俗(げんぞく)したからだそうです。お坊さんだから仏教漢文によく馴染んでいた。だから、β郡は仏教漢文の影響を受けているそうです。

では、巻三十巻は誰か。著者は、初めα郡の二人だと思っていたそうですが、最終的には紀清人(きの・きよひと)と推測しています。

さらに、α郡は持統朝(持統天皇)に作られ、β郡は文武朝(文武天皇)に作られたそうです。

長くなったので、つづく

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