ブッダ物語47 大切なことは1つだけ
ブッダの教えの核心は、
人生は明らかに苦悩に満ちているが、適切な訓練と努力によって、
苦悩から解放され、安息の生活を送れるようにするところにある。
それは、哲学的な問題や、議論の答えを求めるところにない。
もくじ
マールンキャプッタの疑問
マールンキャプッタは、いつも心が落ち着かず、瞑想している間も、普遍的、哲学的な問題に悩まされていた。
つまり、答えの出ない問題である。
それらの疑問について、当然ブッダから解答を得られるものと思っていた。
しかし、いつたずねてもブッダから満足のいく説明を得られず、無視されるだけであった。
ついに、マールンキャプッタはしびれを切らして、しかるべき解答がなければ、僧団を離れて、還俗(げんぞく)すると、ブッダに最後通告をつきつけた。
そして、自分を悩ませいている疑問を並べた。
- 宇宙は、永遠かどうか
- 宇宙は、有限がどうか
- 魂と肉体は、同一かどうか
「私の疑問に、あなたは答えてくださらなかった。だから悩んでいるのです。
もし、説明してくだされば、引き続きあなたのもとで修行生活を送りましょう。
さもなければ、僧団を去るつもりです。
もし、世尊が宇宙は永遠であるとご存知ならば、どうしてそうおっしゃらないのですか。
知らなければ、正直に、『私は知りません』とおっしゃるのが当然でしょう。」
と、マールンキャプッタは述べた。
十四無記(じゅうし・むき)
マールンキャプッタがたずねたが、ブッダがイエスともノーとも言わなかった問いは、十四(十四無記)あるとされます。
有名なので、紹介します。
- 宇宙は、永遠か、
- 永遠でないか、
- 永遠かつ永遠でないか、
- 永遠でも、永遠でないこともないか。
- 有限か
- 無限か
- 有限かる無限か
- 有限でも無限でもないか
- 如来(にょらい・ブッダのこと)は、死後存在するか
- 存在し無いか。
- 存在かつ存在しないか
- 存在することも、存在しないこともないか
- 個我(こが)と身体は、同じか
- 異なるか
ブッダはそのような問題を解決すると述べたことがない
ブッダはまず、マールンキャプッタが自分を脅迫しようとしていることを戒めた。
そして、
「『マールンキャプッタよ、さあ私のもとで修行しなさい。
そうすれば、そのような問題を説明してあげよう』などと、私が君に言ったことがあるか。」
と述べた。
毒矢の話
それから、ブッダはひとつの寓話を説いた。
「毒矢に射られた男がいると想像してみなさい。
その友達や親族が急いで彼を外科医のところへ連れて行く。
しかし、皆が手当てしようとする前に、その男がこんな風に言ったとしよう。
『だれが、私を射たかを知るまで、この矢は抜かせない。
それは、武士か司祭か商人か労働者か。
その姓名は何か。
背は高いか、低いか、中くらいか。
色は黒いか茶色か黄色か。
どこの村や町の出身か。
それからいったいどんな弓で矢が射られたのか。
矢の種類、矢羽の種類は、どんなものか。
知らなければならない。』
マールンキャプッよ、その男は、そのどれひとつとして知らないうちに、死んでしまうであろう。
宇宙は永遠か、有限かなどの疑問を解決しない限り、
修行生活に専念しないという者がいれば、同じ事だ。」
ブッダはさらに、修行生活はそのような疑問と無関係であることを説明した。
「この様な哲学的問題について、どんな結論に達したとしても、老いや死、悲しみや苦しみ、嘆きという人生の事実は変わらない。
君が提出した疑問に、どうして私は答えようとしなかったというと、修行生活に何の意味ももたないからだ。
そのような疑問は、君が欲望を離れ、心の落ち着きと深い自覚を得、
ついには涅槃に到達するための助けにはならない。
私は何について説いたか。
苦しみと、その原因、その消滅、その消滅に至る方法について説いた。
これらこそ修行生活の根本なのだ。」
葉っぱの数
同じ事を、ブッダは、シンシャパーの木立に座っていた時、何人かの僧に話しかけたことがある。
数枚の木の葉を手に取ると、ブッダは言った。
「私の手の中の葉と、この木に茂る葉とでは、どちらの枚数が多いだろうか。」
「木に茂る葉の方がずっとたくさんあります。」
と、僧たちは答えた。
「私が悟り、皆に説き明かした真理と、まだ説いたことがない真理とを比べても、
同じ事が言える。
私が説いたことのないものは、修行生活の役に立たず、精神的向上の助けとならない。
私が説き明かしたのは、苦の本質と、いかにしてそれを克服するかであった。
それこそ涅槃(ねはん・ニルヴァーナ)に導く真理である。」
まとめ
一番目の話は、考えても無駄なことです。
科学的に、宇宙が有限か無限かと探究することは大事ですが、
ここでブッダが言っているのは、宇宙が有限か無限かを知ることが、安息(さとり)に直接つながらないことです。
さらに、その答えの出ない問題を考えることで、本来しなければならないことがおろそかになり、
そのことが原因で、集中力を欠くことを問題としています。
次に描かれる「毒矢の話」は有名です。
この話は、余計なことを考えている内に、毒が体に回って死んでしまうことを説いています。
その話は、次の「葉の話」でも同じで、ブッダが説いたのは、何枚かの葉のように、重要な事柄だけです。
ブッダが説いた以外の多くの事柄は、他の葉であり、苦しみからの解放に全く関係ありません。
重要なことがらは、苦しみからの脱却のみです。
ブッダは、その脱却の方法は、普段の正しい行いとしています。