Tendai Taishi Written by Seimin Kimura

灼熱の無動寺谷と日吉東照宮

Temple

真夏の登山となりました。

2022年7月26日の出発です。

下界は、35度!

でも、山上は25度でした。

7:55に駐車場を出発します。

無動寺坂(むどうじ・ざか)を登って、下ってきます。

今回は、無動寺エリア制覇しましょう!

もくじ

森本墓地から登る

「東照宮下観光駐車場」に車を止めて、「森本墓地」がある登山口を目指します。

歩いてすぐですよ。

ウォーミングアップって感じですね。

「延暦寺・延暦寺・大原登山口」の看板がありますのでそこを上がって下さい。

柵を跳び越えて出発!(本当は、ダメなのかな…)

無動寺坂を登りはじめてすぐ右手に「坂本配水池」があります。

あとは、こんな感じの山道が続きます。

とにかく登ります。しょっちゅうこの看板がありますので、山上に着くまで迷うことは無いでしょう。

上り坂は、かなりキツいです。

途中に見える琵琶湖は最高!

「人間って、なんて、ちっぽけなんだろう」って思います。

マジで、毎回思いますから(笑)

無動寺と紀貫之の墓の分岐点

「行き」の分岐点はココだけです。

今回は右の道を上って、紀貫之さんのお墓へ向かいます。

ちなみに、左に行けば、明王堂に着きます。←帰りはこっちの道。

紀貫之の墓 → ケーブル「もたて山駅」 → ケーブル「比叡駅」

の順に行きます。

紀貫之さんの墓コースは、よほど人気が無いのか、大木がいっぱい倒れています。サバイバル感満点。

紀貫之さんのお墓


「木工頭紀貫之朝臣之墳」と書かれた日があります。

「木工頭」(もくのかみ)は、「木工寮」(もくりょう) の長官です。

「木工」は、内閣の機関で、木材を担当する人です。

「朝臣」(あそん)は、徳の高い人に、付けられるそうです。

紀貫之(きの・つらゆき)さん

紀貫之(きのつらゆき)さんは、平安時代の貴族で、歌人、
『土佐日記』(とさにっき)を書いた人です。

『土佐日記』(とさにっき)は、日本最古の日記文学だそうです。

すげ〜!

たしかに、タイトル『日記』だわww

ケーブル『もたて山駅』


さらに進むと、ケーブル「もたて山駅」があります。

ケーブルの線路が、間近で見れて、おすすめです。

さらに、無動寺参道を進みます。

ケーブル「比叡駅」はすぐそこです。

ケーブル「比叡駅」


ゴール。

本当は、このまま根本中堂に向かうのですが、今回は、無動寺エリアに向かって下っていきます。

ちなみに、ここまで、ちょうど2時間の登山でした。

無動寺谷は、東塔(とうとう)エリアに属するのですが、

比叡山の一番南にあるので、「叡南」(えなみ)とか「南山」(なんざん)と呼ばれます。

さて、これから下ります。

コースは、こんな感じ。

ケーブル「比叡駅」→無動寺エリア→相応さん・慈円さんのお墓→下山

建立道場(こんりゅう・どうじょう)


無動寺エリアに入ると、始めに、建立道場への登り口があります。

残念ながら、立ち入り禁止でした。

ちなみに、階段の上に、建立道場があります。

無動寺を開いた相応(そうおう)さんは、「建立大師」(こんりゅう・だいし)とも呼ばれますから、この道場の名前の由来はそこから来ているのでしょうね。

明王堂

無動寺エリアのメインホール。

本尊さまは、もちろんお不動さま。

比叡山には、1,000日間、山々を駆け巡る修行があります(千日回峰・せんにちかいほう)。

修験道(しゅげん・どう)ですね。

1,000日間の修行の最後の7日間は、断食(食べない)、断水(飲まない)、不眠(寝ない)、不臥(横にならない)で、護摩(ごま)を焚きます。

えぐ〜😱

医学的には不可能らしいです。

ちなみに、護摩で口の中が真っ黒になるので、水で口をすすぎますが、飲みません。

これは、飲むための水ではなく、「口をゆすぐための水」です。

興味がある人は、映像あります。

相応さんの像


明王堂の敷地内に、無動寺を作った相応さんの石像があります。

こんな格好で、山々を歩いていたんですね。

現在の行者さんも同じ格好です。

私のように、出っ張ったお腹で、ひぃひぃ言いながら歩くのとは、全然違ったんでしょうね〜

とほほ…

弁天堂


少し、ケーブルの方に戻ると、弁天堂への参道があります(下り坂です)。

気になったのが、蛇が巻き付いている、門前甁(もんぜんびょう、花瓶)。

おしゃれすぎる!

ちょうど、ご住職がお勤めをされていました(写真なしです)。

法曼院(ほうまん・いん)


「法曼院政所」(ほうまんいん・まんどころ)って書いてます。

こちらもご相談など、用が無いと入れません。

天台宗の密教(みっきょう)には、たくさん流派があり、法曼流もその中の1つです。

ちなみに、私も法曼流出身者です。←ちなみに、最近、修行テキストの解説書作ってますので、またアップしますね♪

護摩堂(ごまどう)


修理中でした。

後ろにある南山坊も行けませんでした。

宝珠院(ほうじゅ・いん)


こちらも「建立道場」と書いているので、修行道場なのでしょう。

残念ながら、入れません。

大乗院(だいじょう・いん)


親鸞(しんらん)さんが修行した場所だそうです。

今は、どんなことに使われているのかは分かりません。

入れませんでした。

玉照院(ぎょくしょう・いん)


ここも何に使われいているかよくわかりませんでした。

またまた、入れませんでした。

相応さんのお墓に向かう

無動寺エリアの探索を終え、今回の旅の目的、無動寺エリアを開発した相応さんのお墓に向かいます。

ハッキリ言って、素人に行き方は分かりません

今回は、無動寺で、お坊さんを捕まえて、詳しく行き方を聞きました。

本当に、聞いといてよかった〜

とにかくずっと下っていくと小いさな川に出ます。

ここめちゃくちゃ大事

右に行くと下山。

左に行きましょう。

さらに行くと六地蔵さまがあります。

これお地蔵さん??

またまた、別れ道。

右に登って行きます。

結構、登ります。

見えてきました。

相応さんのお墓

来てよかった〜!!!

何度も言いますが、

聞かないと、完全にムリ!!!

慈鎮和尚(じちん・かしょう)さんのお墓


下にも2つお墓があり、左は慈鎮和尚さんのお墓です。

ちなみに、慈円(じえん)さんとも呼ばれます。

慈円さん

慈円さんは、4回も天台宗の代表になった人です。

天台宗では、代表のことを座主(ざす)と言います。

歌人でもあり、メチャ有名な歌がこれです。

世の中に山てふ山は多かれど、山とは比叡の御山(みやま)をぞいふ

「山」って言ったら、富士山ではなく、比叡山です。

辞書で「山」を引いてもこう書いています。

比叡山すげ〜

Mountain of Mountain

日吉東照宮(ひよし・とうしょうぐう)

駐車場に戻る途中に、日吉東照宮がありました。

かの有名な日光東照宮(にっこう・とうしょうぐう)のモデルになったお宮さん。

昔は、豪華だったんだろうな〜って思います。

写真では分かりづらいですが。

天海(てんかい)さんによって建てられました。

あ、慈眼堂(天海さんのお墓)もいかなきゃ。

旅は学び、

学んでまた旅、

セイミンでした。

おつかれっす!!