ブッダ物語39 デーヴァダッタ
集団や組織がある程度発展するとよくあることだが、ブッダの僧団も政争と分派活動に悩まされることとなった。
もっとも有名な例は、ブッダの従弟で幼年時代の友デーヴァダッタである。
デーヴァダッタは、サキャ族の他の者たちとともに、ブッダがカピラヴァストゥを訪れたとき僧団に加わった。
経典によると、ブッダがビンビサーラ王の領地、コーサンビーを訪れた時、僧団に対するブッダの指導権に挑戦して、デーヴァダッタは僧団の指導を自分に任せるよう主張した。
ブッダは拒否し、デーヴァダッタを非難する声明を公表して彼を僧団の活動から切り離した。
そこで、デーヴァダッタはビンビサーラ王の王子、アジャータサットゥ(阿闍世)と手を組んだ。
アジャータサットゥ王子が、父王ビンビサーラを幽閉し、殺害し、王位を奪った物語は、大乗経典の一つ『観無量寿経』にも劇的に描かれている。
王子は、父の王位が長く続くのに我慢出来なくなっていたからである。
デーヴァダッタは、たがいに邪魔者を殺そうと提案する。
アジャータサットゥは滞りなく父を殺害し、デーヴァダッタもブッダを殺す準備をした。
彼は、ブッダ暗殺を三度試みたと言われている。
まず、最初に数人の刺客を雇うが、彼らは皆ブッダの説得に降参し、逆に仏教に帰依してしまう。
次に、デーヴァダッタは鷲の峰という山の頂きに登り、下を通るブッダに岩を投げ下ろすが、岩はわずかにブッダを傷つけただけであった。
最後に彼は象を放ってブッダを攻撃するが、あたかもライオンを鎮めたダニエルのように、ブッダは慈悲の力によって、怒り狂う象をおとなしくさせたのであった。
ブッダを殺害するのに失敗したデーヴァダッタは、五項目の要求をブッダにつきつけた。
五項目とは、出家僧は生涯、
(1)森の中で生活すること、
(2)乞食を行い、食事の招待を受けないこと、
(3)ごみの山に捨てられているようなボロ布(糞掃衣)を身にまとうこと、
(4)樹の下に座り、屋根の下に入らないこと、
(5)魚の肉を食べないこと、
である。
それは、出家と清貧と菜食主義という仏教徒の原則を厳格に適用することを要求するものであった。
このころは、教団の規律が乱れ初めていたのかも知れない。
しかし、ブッダは何年間も自己の肉体を痛めつける苦行によって真理を追究した経験があったので、戒律至上主義の危険性に対しては敏感で、五項目の要求をつきつけたデーヴァダッタを断固として懲戒した。
この様に、デーヴァダッタの要求は受け入れられず、彼は僧団を去った。
そして、五百人の弟子と共に、新しい僧団を創設した。
もっとも、これらの弟子は、モッガッラーナ(目連)とシャーリプトラ(舎利弗)の説得によって、まもなくブッダの僧団に戻ってきた。
さらに、物語は続き、デーヴァダッタは晩年何ヶ月も病気を患った時、過去の行為を悔いて、ブッダと仲直りしようと決意する。
ブッダが滞在していたジェータヴァナ僧院(祇園精舎)に担架で運ばれてきたとき、デーヴァダッタは立ち上がって
「ブッダに帰依します!」と叫んだ。
そこで、ブッダは、彼をふたたび僧団に迎え入れ、やがてデーヴァダッタは悟りを得るであろうと預言したのであった。
アジャータサットゥ ウパティッサ シャーリプトラ デーヴァダッタ ビンビサーラ王 モッガッラーナ 目連 祇園精舎 舎利弗 追放 阿闍世王