ブッダ物語50 怒りは必ず人を後悔させる
怒りにまかせて、喧嘩して、後悔したことがある人は、多いのではないでしょうか。
今回は、怒りにまかせて、大切な師であるブッダを失った僧侶たちのみじめなお話です。
もくじ
愚かな僧侶達
ある時、弟子たちの振る舞いに、ブッダはまったく嫌気が指した。
衛生に関するささいな規則について、コーサンビーの僧院で論争が起きた。
それは、僧院の長老である教えを指導する大家と、僧団のルールを指導する大家の間に起こったものである。
争いは、それぞれの弟子たちに波及し、やがて他の僧や尼僧、在俗の信徒、さらには、仏弟子ではない人たちさえ巻き込む公開論争に進展した。
ある段階で、ルールの大家は、教えの大家に破門を言い渡した。
衛生に関する自身の規則違反を認めないという噂があったからである。
ブッダみずからが向かう
ブッダは、コーサンビーの僧院に使者を送り、口論をやめさせようとした。
それが効を奏(そう)しなかったとき、ブッダがみずからコーサンビーに出かけて行った。
それでも、彼らは耳を貸そうとしなかった。
がっかりして立ち去ったブッダは、ひとりさまよい歩き、雨季の間、パーリレイヤという森に身を寄せた。
彼はそこで一頭の象に助けられた。
僧たちの後悔
口論をやめない僧たちをブッダが見放したと聞いて、コーサンビーの在俗の仏教徒は僧を支援するのをやめた。
すると僧たちも分別をとりもどし、あわてて支持者たちに謝罪した。
しかし、彼らは、僧たちがブッダと仲直りするまで謝罪を受け入れることを拒んだ。
すでに、雨季に入っていたので、ブッダを探しに出かけることは出来なかった。
かくして、僧たちは数週間を、不安のうちに過ごしたのであった。
ブッダと動物たち
パーリレイヤの森に滞在するブッダの生活は、コーサンビーの弟子たちの間の不和と対照的である。
象は野獣の危険からブッダを守ったばかりではなく、托鉢に同行すると、鉢や衣を頭に乗せて運んだ。
一匹の猿も、ある日、野生の蜜を集めてきてブッダに捧げた。
このように、ブッダは自然と調和した日々を過ごしたのであった。
やがて、ブッダが気高い象に仕えられて、森にいることが知られるようになった。
アーナンダの説得
サーヴァッティーの町では、アナータピンディカはじめ数人の指導的人物が、アーナンダにブッダが戻るよう説得することを依頼した。
アナータピンディカは、祇園精舎を寄付した人物である。
そうすれば、コーサンビーの僧たちとの問題を解決できると考えたからである。
大勢の僧とともに、アーナンダは森へ出かけた。
ブッダは、厳しい言葉で彼らを迎えた。
「立派に生きている仲間、交際するにふさわしい賢い仲間がいれば、仲良く一緒に暮らすがよい。
そうでなければ、国を捨てた王や森に住む象のように、ひとりで暮らすがよい。
愚か者と付き合ってもしかたがない。ひとりでいるほうがましだ。」
ブッダ戻る
しかしながら、ブッダはサーヴァッティーにもどることに同意する。
泣き叫ぶ象との別れは、胸をつく悲しい場面として描かれている。
ブッダがサーヴァッティーのジェータヴァナ僧院(祇園精舎)にもどると、コーサンビーの僧たちが許しを請いにやって来た。
しかし、このときすでに彼らの評判は地に落ちていて、コーサラ国王は、僧たちが領内に入るのを許さないと脅かした。
アナータピンディカも、ジェータヴァナ僧院に入れるのをためらった。
ようやく到着したコーサンビーの僧たちは、他の僧から隔離され、
あからさまな軽蔑の眼差しで迎えられた。
しかし、ブッダ自身は、まったく悪意を示さず、コーサラ国王やアナータピンディカに告げた。
「この僧たちは決して悪人ではありません。
ただ、仲間の間で論争していたために、私の言葉に耳を貸さなかっただけです。」
コーサンビーの僧たちは後悔し、恥じ入りながらブッダの前にやって来て、足元にひれ伏した。
ブッダは彼らをいさめると、簡単な訓話を与えた。
「口論が自然におさまることを知らない人がいる。
もし知っていれば、仲たがいすることもないだろう。」
まとめ
頭に血が上っていると、他人のことを受け入れないのは私たちも同じですね。
この話では、ブッダの我慢強さと、物事を客観的、冷静に判断している点が覗えます。
- 怒りに支配されている人に、何を言っても無駄。
- 怒りにまかせて物事を行うと、人は必ず後悔する。
- トラブルは時間が経てば、自然と消滅する。
すごく勉強になります。