Tendai Taishi Written by Seimin Kimura

ブッダ物語52 ニルヴァーナ(涅槃)

Buddha Life

前回、ブッダですら嫌われることがあることを紹介しました。

今回もそれにちなんだ話です。

また、ブッダ物語最終回となります。

ブッダ最後の旅

ブッダの布教活動は四十五年間に及んだ。

雨季を過ごすために、ベールヴァという村を訪れた時、ブッダははじめてもうこれ以上続けられないという予感におそわれた。

その村に滞在中、ブッダは病気になり、激しい苦痛に見舞われる。

我慢よく苦痛に耐えながら、ブッダはひそかに考えた。

侍者たちに話をし、僧団に別れを告げるまでに、決して涅槃に入るべきではないと。

そこで意志の力で病気と闘い、生きながらえた。

ブッダに秘密の教えは無い

ブッダはアーナンダを呼び、次の様に告げた。

「アーナンダよ、僧団はもうこれ以上私を必要としないであろう。

私の教えは明白であり、まだ説いたことがない秘密の教えはない。

握りこぶしに隠しておいたものなど何も無い。

アーナンダよ、私はもう年老いて、齢(よわい)も八十を過ぎた。

これからは、君たちひとりひとりが自己を頼りとし、島としなさい。

そして何よりも教えをよりどころとしなさい。

雨季の安居(あんご)が終わり、僧団はふたたび出発した。

チュンダによる最後の布施

やがてチュンダという男のもつマンゴーの茂みにたどりついた。

ブッダがいることを知り、チュンダは会いにやって来て教えを受けると、僧団を食事に招待した、

翌朝ブッダは弟子たちとともに、彼の家を訪れた。

豪華なごちそうをふるまわれたが、中にきのこ料理が含まれていたという。

おそらくこの料理のためであろう、食事の後ブッダの病気は再発し、今度は回復することが出来なかった。

ブッダの死

病身にもかかわらず、ブッダは旅を続け、ついにクシナーラという地に至る。

ここで、ヒランンヤヴァティー川の岸辺にあるサーラ樹の茂みで休んだ。

アーナンダが二本のサーラ樹(沙羅双樹)の間に床にしつらえると、ブッダは身を横たえた。

そこで、ふたたびブッダは、大切なのはブッダ自身ではなく、彼の説いた教えであることを強調した。

「アーナンダよ、おそらく将来君たちの中で、

『師の言葉は終わった。もはやわが師はおられぬ。』と考える者があるだろう。

アーナンダよ、そのように考えてはならない。

私の死後は、君たちに説いた私の教えを師とみなしなさい。」

それからブッダは、まわりの僧たちに話しかけた。

「形あるものはすべて滅びるものである。(悟りを得る為に)精進努力しなさい。」

これが最後の言葉であった。

スバッタの話

それからブッダは、種々の瞑想の段階を経て、ついにこの世を去ったといわれている。

亡骸(なきがら)は、王家の人にふさわしく、丁重に荼毘(だび)に付された。

人生の無常を学んだにもかかわらず、一部の僧は師の入滅を嘆き悲しんだ。

しかし、その中にまったく違う態度をとる僧がいた。

それは年老いてから僧団に加わったスバッタであった。

彼にとって、ブッダの死は一種の救いだったのである。

「もう泣くのはじゅうぶんだ。

友達よ、悲しむことはない。

われわれはやっと、あの偉大な師から解放されたのだ。

『こうしなさい。それはしてはいけない。』

と、やかましく指示され、悩まされてきたが、われわれはこれで好きなことが出来るし、やりたくないことはしなくてよいのだ。」

これはもちろん、ブッダの定めたルール(戒律)が捨て去られ、僧団が混乱のうちに分裂する兆しであった。

僧団分裂の危機

長老のひとり、マハーカッサパはそう解決した。

マハーカッサパは、ブッダの教えの完全で信頼のおける記録を早急に確立しなければならないと考えた。

そこで、アジャータサットゥ王に支援されて、ラージャガッハ市で会合が開かれ、聖者の位に達した五百人の僧が集められた。

カッサパを代表に、この集会(結集:けつじゅう)では、ブッダの教えをすべて記憶した。

ウパーリとアーナンダは、カッサパの問いに答えて、それぞれ戒律と説法をまとめるのに重要な役割を演じた。

会合は七ヶ月間続いた。

この第一結集でまとめられたものは、紀元前八十年頃にセイロンで開催された第四結集(第四回目の集会)において、はじめて文字に写された。

ブッダの言葉や教えは、経典の3つのかご(三蔵)と呼ばれる三部門に分類された。

  1. ヴィナヤ:僧団にとっての戒律の集成
  2. スッタ:祈りに触れてブッダが語った説法の集成
  3. アビダンマ:教義の哲学的・心理学的展開

まとめ

ブッダが亡くなりましたが、本当は、永遠に生きられたという話もあります。

しかし、ブッダは、人間の肉体が永遠でないことを教えるために、亡くなったとも言われています。

また、私をよりどころにするのではなく、教えをよりどころにしなければならないと言います。

長い物語でしたが、また再編集しますので、お読み下さい。