漢文物語1
漢文は、主語がなくても成立します。
例えば、
千慮一失(どんな立派な賢者でも、一度ぐらい間違いがある)
とありますが、これは、「千慮に一失あり」と読んで、「千慮に」は主語ではなく、副詞です。ですから、この文に主語はありません。
私たちは英語の勉強をした癖で、つい、主語を探してしまいます。(そんなにしてませんが笑)
日本語の「てにをは」はよく出来た助字で、
「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが、住んでいました」
の「が」によって、おじいさんとおばあさんが主語であることが分かります。
次に、
おじいさんは山へ、おばあさんは川へ
と、この「は」おじいさんとおばあさんを区別する「は」です。つまり、さきほどの「が」は主語を示すものですが、この文の「は」は主語を示すものではありません。おじいさんとおばあさんの区別をしめす「は」です。おじいさん「は」山へ、それでもって、おばあさん「は」川へ行きましたということです。
以前お話しした音博士は、音つまり、発音を教えてくれる先生でした。
先生の発音を漢字の四隅に黒い点を打って(四声点)、ノートに記録していたのですが、この黒い点がやがて、さきほどの、「てにをは」の目印に変わってきました。
つまり、音を記録する点が、漢文を読みやすくするための「てにをは」に変わったのです。
この点を漢字の四隅に打って、なるほどこれは、千慮「に」と読むのだなという具合です。
そして、この読み方が先生によって違う。東大はこう読む東大派だ!、京大はこう読む京大派だ!ってな具合です。この点を「訓点」と言います。
やがて、鎌倉時代になると、この点はもう音を表すものではなく、どのように読むかを示す訓点へと変わっていきます。
江戸時代になると、この送り仮名に、返り点、句読点の付いた漢文の書籍が多数出版されます。
これを「和刻本」(わこく・ぼん)と言います。