Tendai Taishi Written by Seimin Kimura

でっかい阿弥陀石仏と崇福寺跡

Temple

こんにちは。

セイミンです。

雨でした。

今回の目的は、崇福寺跡。

なぜかというと、私が天台宗の僧侶だからです。

実は、この崇福寺は、天台宗の開祖である最澄(さいちょう)さんの師匠である行表(ぎょうひょう)さんが代表を務めたお寺です。

もくじ

石造阿弥陀如来座像

崇福寺への道は、かなりタイトです。

車では絶対行かないで下さい。

なぜなら、私が失敗したから(笑)。

道が細いので、最終的にUターン出来ず大変なことになります。

マップを添付します。こんな感じで狭いです。

進んでいくと、右手にでっかい石の大仏さんがあります。

阿弥陀さまとのこと、志賀の大仏(しがのおおぼとけ)とも言うそうです。

ここら辺の地名は、滋賀里(しがさと)というのですが、

この阿弥陀さまの前の道から、京都の北白川に抜けられるそうです。

そこで、昔の旅人は、旅の安全をこの石仏にお願いしたとのこと。

崇福寺跡

石仏を過ぎて、さらに進むと、こんな看板が、「危険」では無いですが、

人によったら、道の状況が危険なのでやめておいて下さい。

看板を左に進みます。

すぐに、崇福寺旧社があります。

行表さん

崇福寺の代表者である行表さんは、三論宗(さんろん・しゅう)のお坊さんです。

奈良時代のお坊さんです。

奈良の大安寺(だいあん・じ)で学びました。

天智天皇と大津京

天智天皇(てんじ・てんのう)は、中大兄皇子(なかのおおえの・おうじ)です。

中大兄皇子は、知ってる!

ほんで、天智天皇は、飛鳥(奈良県)より近江(滋賀県)に都を移しました。

壬申(じんしん)の乱により、わずか5年間だけの都だったそうです。

その時代に、崇福寺が建てられました。

まとめ

今回のレビューは少なめです。

この後、園城寺も行ったのですが、情報が多いのでそれは次回に。

旅は学び、

学んでまた旅、

セイミンでした。