Tendai Taishi Written by Seimin Kimura

比叡山参拝その2【雨上がりの横川】

Temple

こんにちは。

セイミンです。

今回は、「横川エリアを歩き尽くす」です。

雨が心配されましたが、朝には上がり、空気が澄んで良い感じの参拝になりました。

今回は、山登りよりも、参拝メインなので、仰木ゲートより、車で登り、横川駐車場に駐めて参拝しました。

そして、旅の醍醐味、車泊しました。

宿泊場所は、びわ湖のほとりにある道の駅「米プラザ」で、朝にはびわ湖を前に歯磨き。

最高すぎるやん!

今回も、武覚超先生の本を参考に、諸堂を巡りました。

もくじ

定光院【日蓮さん】


仰木ゲートから入って、横川中堂に向かう途中に、定光院(じょうこういん)の入り口があります。


元三大師堂の道から、行院を通っても行けるのですが、今回は、先に寄りました。

定光院は、日蓮さんが、修行中に勉強した住居。
幼い時の名前は、蓮長(れんちょう)くんと言って、
その勉強中には、三十番神が、蓮長くんを護ってくれたそうです。

ですから、定光院には、三十番神が祀られています。

日蓮さん


日蓮さんと言えば、言わずと知れた日蓮宗の開祖

『法華経』こそ本物の教えだと唱えた人です。

だから名前に「蓮」付くんや!(『法華経』の正式名は、『妙法華経』)

そんで、『立正安国論』(りっしょう・あんんこく・ろん)を出して、真言宗や浄土宗を批判しまくる。

日蓮さんいわく、

真言亡国(しんごん・ぼうこく)、禅天魔(ぜん・てんま)、念仏無間(ねんぶつ・むけん)、律国賊(りつ・こくぞく)

「真言宗は、国を亡ぼす。禅宗は、悪魔。浄土宗は、無間地獄に落ちる。律宗は、国の罪人。」

えぐ〜。

ほんで、蒙古が襲来する。

これ日蓮さん、『立正安国論』で予言していた。

すごすぎ!

ほんで、北条時宗(ときむね)に佐渡に流される。

人生、ハードすぎるんですけど…

日蓮さん「また蒙古来るよ〜」

…→幕府無視

嫌気がさした日蓮さんは、身延山に入り、面会謝絶。

結局、日蓮さんの予言通り、蒙古が来る(文永の役)

ドラマやん!

三十番神


三十番神(さんじゅう・ばんじん)とは、神仏習合(しんぶつ・しゅうごう)の信仰で、30人の神さまが、毎日交替で、国家や国民を守ること(番神)。

これ、めちゃおしゃれやから見て下さいね。

*「撮影禁止」と無かったので、撮影させて頂きました。

瀧尾社


定光院の中に、瀧尾権現社(たきお・ごんげん・しゃ)があります。

何であるんやろ?三十番神にもいないし。

電話して聞くしかないやろ(笑)

で、お答え頂きました。

瀧尾さまは、滝を護る土地神さまで、起源ははっきりしないそう。

そんで、
定光院は、比叡山のお坊さん(天台宗)ではなくて、日蓮宗のお坊さんが管理している。

そうなんや〜!

ですから、日蓮宗さんが、比叡山に場所を借りているというシステムらしい。

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥

ということで、定光院さんが出来る前から、瀧尾権現社は、この土地にあったらしいです。

三塔十六谷

さらなる情報。

比叡山って、三つの塔と十六の谷で構成されているらしい。

三塔は、東塔、西塔、横川です。

今回、行ったのは、その1つ横川です。

ほんで、横川には、谷が6個あるらしい。

勉強になるわ〜

  1. 兜率谷(とそつ・たに)
  2. 般若谷(はんにゃ・たに)
  3. 香芳谷(かほう・たに)
  4. 解脱谷(げだつ・たに)
  5. 戒心谷(かいしん・たに)
  6. 飯室谷(いむろ・たに)

それで、定光院は、香芳谷にあります。

鬼、勉強になるんですけど!!

龍王社と龍池


車に戻って、横川駐車場を目指します。

駐車して、

横川の門をくぐって


左手に池が見えてきます。

その池には、龍王社があります。

弁天さまをお祀りしています。

元三大師と大蛇の物語


この池には、比叡山の中興の祖といわれる元三大師さん(良源さん)の伝説があります。

この池に大蛇が住み着き、みんな迷惑していました。

それを聞いた、元三大師さん(以下、大師さん)。

大師さん「なんか、お前、なんにでも変身できる能力あるらしいな」

大蛇「そうや、俺に、できひんことなんかないで」

大師さん「じゃあ、でっかくなってみなよ」

大蛇「ええで、ほら」

大蛇、でっかくなっちゃた!

大師さん「おお!すごいやん。じゃあ、今度は、小さくなって、私の手の上に乗れる?」

大蛇「そんなん楽勝やで」

大蛇、小さくなっちゃた!

すぐさま、大師さん、手のひらをギュッ!

大蛇を手の中に閉じ込めました。

やられた大蛇、猛反省。

そんで、大蛇は、龍になり、弁天さまにお仕えするようになったとさ。

めでたし、めでたし。

赤山宮

横川中堂の右斜め前に、赤山宮(せきざん・ぐう)があります。

ここは、円仁さんが中国留学(遣唐使)中に、赤山という村で勉強しました。

そこの神さまを祀ったのが初めです。

一念寺跡


手前の広場?には、「一念寺跡」という碑が立っています。
碑文によれば、横川中堂の政所跡で、高浜虚子(たかはま・きょし)さんが、ここで、小説『風流懺法』(ふうりゅう・せんぽう)を書いたそうです。

その小説に、一念さんという小坊主さんが出てくる。

それが、名前の由来らしい。

鐘楼


横川中堂を背に、真っ直ぐ歩くと、突き当たりに鐘楼(しょうろう)があります。

次に目指すは、恵心院、ここを右折します。

秘宝館【重文】


途中に、秘宝館(ひほうかん)があります。」

比叡山のいろいろなお宝が収められていたそうですが、それらは、現在、国宝殿にあるようです。

ですから、人影無し。

承陽大師霊跡(道元さん)


進んでいくと、途中に、道元さんの霊跡があります。

承陽大師(じょうよう・だいし)は、道元さんの別名。

この霊跡、道元さんが何をしたところなのかはナゾ。

今度聞いてみよ。

恵心院(源信さん)


真っ直ぐ進むと、右手に恵心院があります。

恵心院は、恵心僧都(つまり、源信さん)の隠居場所だったみたいです。

もともとの名前は、華台院(けだい・いん)です。

源信さんと言えば、『往生要集』(おうじょう・ようしゅう)を書いた人。

極楽とか、地獄とかで有名な人です。

「念仏」のパイオニア

「南無阿弥陀仏」といえば、法然さん・親鸞さんを思い浮かべると思いますが、

実は、源信さんあっての念仏です。

すげ〜、比叡山!

覚超僧都御墓

ここからの道のり超大事!

道間違えると、山降りちゃいます…

恵心院を出て、真っ直ぐ進むと、突き当たります。

そこを右折

まっすぐ行くと、「この先 通り抜けできません」の看板があります。

これを進むと、比叡山から下りちゃいます(気を付けて!)。

まっすぐ行かず、右折して、「日本生命慰霊塔」の矢印の方向に進みましょう。


恵心さんのお墓に向かう途中、右手に、覚超僧都御墓があります。


良源さんと同じキノコ型やん!

覚超さん

覚超さんは、和泉国(大阪府)の出身で、良源さん(第18代目代表)の弟子となり、源信さんの指導を受けた人。

良源さんの弟子の中でも優秀で、四哲(してつ)の1人です。

ものまね四天王みたい(笑)。

良源さんの弟子だから、お墓も同じキノコ型なのかな〜

いや、きっとそう!

良源さんのお墓は、こちらの記事をどうぞ。

恵心僧都御墓

さらに進むとやがて、日本生命慰霊塔が見えてきます。


それを通り過ぎて、真っ直ぐ進むと、またまた分かれ道(二股)。


右に進んで下さい。

左を進むと、またもや、山降りちゃいますよ…

それから、さらに進みます(思った以上に歩きます)。

すると、右手に見えてくるのが、恵心僧都御墓(えしん・そうず・おはか)、つまり、源信さんのお墓があります(階段を上った先)。


またまた、キノコ型やん!

なぜなら、源信さんは、良源さんのお弟子さんだから。

キノコ族(笑)←タケノコ族ちゃうで(笑)

道元禅師得度霊跡(道元さん)

来た道を、鐘楼まで戻ります。

さらに進んで、元三大師堂へ。

元三大師堂の目の前の坂を下ると、

道元さんが、お坊さんになった時(得度/とくど)の霊跡があります。

道元さん

道元さんは、曹洞宗(そうとう・しゅう)の開祖。

座禅の人です。

曹洞宗は、永平寺(えいうへい・じ)が有名。

道元さんは、京都生まれ。

お坊さんになって、横川の般若谷の千光坊(せんこう・ぼう)で学びました。

それから、中国(宋)に留学。

帰国後、京都の建仁寺(けんいん・じ)で、『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)を書き始めます。

それで、日本最初の座禅道場である興聖寺(こうしょうじ)を建てたそう。

興聖寺、行かなアカンな!

ほんでもって、永平寺も建てた。

京都には、道元さんゆかりの寺がいっぱいあるやん!

比叡山にある、「道元さんゆかりの地」看板は、これ。

箸塚弁財天


元三大師堂の真ん前に、箸塚弁財天(はしづか・べんざいてん)があります。

良源さんが、最澄さんに倣って、千僧供養を行い、その際に使った箸を埋めて弁財天を祀ったのが始まりらしい(ググった)。

それって、使用後の箸ちゃうん….

三大弁財天

ちなみに、比叡山には、三大弁財天があるらしい。

  • 無動寺弁天堂(東塔)
  • 箕淵弁財天(西塔)
  • 箸塚弁財天(横川)

比叡山行院


さらに、奥に進むと、行院(ぎょういん)があります。

ここは、天台宗のお坊さんになるために入る修行道場。

私も18才の時、60日間、ここで修行しました。

いや〜キツかった〜

もちろん、お酒、肉ダメ

しかも、人とも会えない。

山も降りれない。

ようやったな。

18才の血気盛んな時に…

そういえば、その時の彼女とも別れたな。

「自分で自分をほめたいと思います」(有森裕子)

今の自分は、褒めるところ無し(笑)

甘露山王社


行院の目の前に、甘露山王社(かんろ・さんのう・しゃ)があります。

由来はわからん…

「甘露」(かんろ)の意味は、神さまが飲む飲料水で、不老不死の効果がある。

しかも、甘い。

飲みてぇ〜

実際に、醤油と芋焼酎はあるみたい(笑)

Amazonで買えます(笑)

弥勒石仏?


さらに、先に進むと、弥勒石仏(みろく・せきぶつ)があります。

これて、本当に弥勒さん!?

弥勒さまは、 お釈迦さまが亡くなってから、56億7000万年後に、この世に生まれて、私たちを救ってくれる仏さま(5, 6, 7って覚えれば、覚えやすいですよ♪)。

お釈迦さまが亡くなったのが、2500年前だから…

あと、どんだけあるねん!!

甘露水、Amazonで買わな(笑)

稲荷社(元三大師堂近く)


最後に、元三大師堂の近くにあるお稲荷さんにお参りしました。

まとめ

今回は、横川エリアを全部回って、スッキリ。

旅は学び、

学んでまた旅、

セイミンでした。

またね〜。