【天台宗のお経】台宗課誦(たいしゅうかじゅ)を読む
みなさんは、ご自身の宗派(しゅうは)をご存知ですか。日本には、さまざまな宗派があり、平安時代に起こった宗派に、最澄(さいちょう)の天台宗(てんだいしゅう)と、空海(くうかい)の真言宗(しんごんしゅう)があります。私は、この天台宗に所属しています。このブログの「天台太子」の「天台」もこの天台宗から取ったものです。「宗派」とは、難しい言葉ですが、「共通のお経や、仏さまを信仰するグールプ」のことを指します。仏さまでなく、それは過去の人物であることもあります。また、鎌倉時代には、法然(ほうねん)が開いた浄土宗(じょうどしゅう)、親鸞(しんらん)が開いた浄土真宗(じょうどしんしゅう)、日蓮宗(にちれんしゅう)などをはじめ、さまざまな宗派が起こりました。お家が、浄土宗や、浄土真宗の方は多いのではないでしょうか。また、それぞれの宗派には、日課として読むお経本があります。
もくじ
『台宗課誦』は、天台宗のお経本
さまざまな宗派の中で、天台宗のお坊さんや檀家・信者の方が、日課として読むお経本を「台宗課誦」(たいしゅうかじゅ)と言います。「台宗課誦」の「台」は、天台宗の台、「宗」は、宗派の宗、「課」は日課の課、「誦」は読誦(どくじゅ)の「誦」です。読誦とは、声に出してお経を唱えることです。下がその経本(きょうぼん)です。
奥書
「奥書」(おくがき)とは、書物の最後にあって、なぜこの本を書いたかとか、いつ書いたかとか、誰が書いたとか、本の「あとがき」のように、最後に言いたいことなど、その本の情報をまとめたものです。『台宗課誦』の最後のページにある奥書を見てみると、
この台宗課誦は宗祖伝教大師 比叡山開創一千二百年を記念して改訂されたものである 延暦寺学問所 昭和六十年七月
「この『天台宗の者が日課してとなえるお経文』(『台宗課誦』)は、日本の天台宗の創始者である伝教大師が、比叡山を開いてから、1,200年のふしめ(節目)を記念して改訂出版したものである」
と書かれています。この文章の意味を解説しておきましょう。まず、「宗祖」(しゅうそ)の「宗」は天台宗を指します。「祖」は、「はじめ」という意味がありますから、「天台宗を始めた人」という意味です。「先祖」(せんぞ)という言葉をよく聞かれると思いますが、この言葉も、そのお家の「先の人」とか、「はじめた人」という意味を持ちます。
次に、「伝教大師」(でんぎょう・だいし)ですが、これは、最澄(さいちょう)のことで、「伝教」は「教えを伝えた」、つまり、天台宗の教えや、仏教の教えを伝えたという意味です。「大師」は、朝廷からりっぱなお坊さんに送られた称号(しょうごう)で、「大先生!」という意味です。弘法大師(こうぼう・だいし)が有名ですね。
「比叡山」(ひえいざん)は、滋賀県にある山の名前で、天台宗の総本山(中心)です。世界遺産に登録されます。
「一千二百年」とは、1,200年前を意味します。この本が発行されたのが、「昭和六十年七月」(1985年)ですから、1985年から1,200年を引くことで、785年(延暦四年)を指すことが分かります。したがって、785年から1,200年後の記念として、昭和60年(1985年)に発行された、という意味です。785年の元号(今の元号は、令和ですね)は、「延暦」(えんりゃく)で、天台宗の「延暦寺」(えんりゃくじ)という名前のもととなりました。伝記によると、823年に比叡山寺から、延暦寺に名前が変更されたようです。この年は、最澄が亡くってから一年後のことです。もともとは、比叡山寺と言う名前だったんですね。ちなみに、比叡山に行かれて「延暦寺どこ?」と聞かれても、そのような名前のお寺が比叡山の中にあるのではありません。前の名前が比叡山寺であったように、延暦寺とは、比叡山そのものを指します。つまり延暦寺=比叡山です。例えば、東大寺に言って、「東大寺はどこですか?」と尋ねれば、「ここです」と、と言われますよね。お寺というのは、その敷地(境内と言います)全体を指すことであり、その中に、本堂、護摩堂、阿弥陀堂などの「お堂」(建物)が配置されていると考えて下さい。
また、「比叡山を開いてから」(比叡山開創)とありますが、この785年は、最澄が比叡山で修行を始めた年です。最澄が、比叡山を切り開いて、お寺を建てた年ではありません。さらに、古い記録によれば、当時比叡山はすでに修行の場であったそうです。奥書だけでも、いろいろ勉強になりますね。
目次
『台宗課誦』には、表裏に文字が印字されています。このような本を折り本(おりほん)と言います。このようなものです。
表の目次
- 法華懺法(ほっけせんぼう)
- 例時作法(れいじさほう)
- 十二礼譜(じゅうにらいふ)
- 三句念仏(さんくねんぶつ)
- 回向段(えこうだん)
- 伝教大師(でんぎょうだいし)ご法話
- 恵心僧都(えしんそうず)ご法話
裏の目次
- 勤行作法(ごんぎょうさほう) 第一式
- 勤行作法 第二式
- 勤行作法 第三式
- 諸尊真言(しょそんしんごん)
- 天台大師和讃(てんだいだいし わさん)
- 伝教大師和讃(でんぎょうだいし わさん)
- 比叡山讃歌(ひえいざん さんか)
- 伝教大師讚仰和讃(でんぎょうだいし さんごう わさん)
- 本尊和讃(ほんぞん わさん)
- 浄邦和讃(じょうほう わさん)
- 弔い和讃(とむらい わさん)
天台宗では、一般的に、僧侶は、表の「法華懺法」と「例時作法」を、それぞれ朝と夕に分けて唱えます。朝のお経(お勤め)を朝座(あさざ)、夕方のお経を夕座(ゆうざ)とも呼びます。
『法華懺法』(ほっけ せんぼう)の「法華」とは、『法華経』(ほけきょう)というお経を指します。「懺法」の「懺」とは、懺悔(ざんげ)の意味で、「法」は難しい言葉(多くの意味がある)ですが、この場合は、「儀式」という意味です。ですから、「『法華経』の教えにしたがって、罪をつぐなう儀式」という意味です。中国の天台宗を開いた方の書物によると、当時は、これを21日間行ったそうです(日本の天台宗は、中国の天台宗をモデルに作られたものです)。
『例時作法』(れいじ さほう)の「例」は、恒例の「例」ですね。ですから、「例時」で、「決まった時間に」という意味です。「作法」とは、「きまり」という意味で、決まった時間にするものです。
法然(ほうねん)上人という浄土宗の開祖さまのお言葉を集めた『黒谷上人語燈録』(くろだに しょうにん ごとうろく)によると、
例時作法,如常,但日沒,一時修之。
「例示作法は、恒例とし、日没のある時にこれを行う」
とありますから、夕刻のいずれかの時間に行っていたようですね。